アパレル販売職の採用業務を通して見えるあれやこれやについて書いてます。

〜アパレル採用担当の窓口から〜

アパレル販売職の採用業務を通して見えるあれやこれや

或る店長

なぜ自分がアパレル販売職を志望したか。

特別好きなブランドがあったわけではないし、特別おしゃれだったわけでもない。ただ服を着る行為は生活の中で必ず必要だったし、服装によって自分がアップデートできることが好き。服を着る、というワンイシューだけで知らない人(お客様)とお話しができるのってすごいよな、というのが志望のきっかけだった。

 アパレル2社目の大手での面接でそんなことを話して無事採用に至った。しかしながら採用されたブランドは普段買いできるような価格帯でなかったため、最初のうちはこんな高いの売って大丈夫だろうか…などと貧乏人の自分は萎縮してしまい、そこの壁を超える必要があった。

今思うにその価格に見合う接客が出来ていなかっただけだろうが、その時は必死で、お客様と駆け引きをしてお買い上げいただくのだと考えた。そして、そのことを当時の店長、Iさんに言ったのだ、「接客販売ってお客様との駆け引きっすよね~」と。するとI店長は悲しそうな顔をした。未熟さは当然としても、あまりにも卑屈な自分に対して言葉が見つからなかったのかもしれない。ただ、自分はその顔を見て、これは正解じゃないんだ、と思った。

その壁を乗り越えるために、商品について、着用シーンについて、トレンドについて徹底的に学び直した。お客様の体型を見ただけで最適サイズが分かるようになった頃、その壁が乗り越えられていたようだ。いつの間にか店で一番売上が取れるようになっていった。

 その店にいたのは1年。売上高の高い店舗へ異動となりI店長は笑顔で送り出してくれた。そしてまた別の店舗でサブになった時、代理で店長会に出席する機会があった。

久しぶりに会えたI店長に「やっとこういう場で会えるようになりましたね」と言ってもらい、とても嬉しかった。

 

I店長に会ったのはそれが最後。

病気で亡くなったのだ。

あの店長会の前にI店長は闘病のため少し休職することがあった。その時期にヘルプに行ったことがある。復帰後の店長会で会い、また少しして容体が悪化し亡くなった。彼女は沖縄出身で、同郷の旦那さんは彼女の死をきっかけに彼女の遺骨とともに沖縄へ帰ってしまったため連絡も取れず、墓参にも行けずじまいだ。

 

その後、自分が店長になった時、病気で休職した時、退職した時、別の会社で仕事をする時、何かにつけては彼女のことを思い出す。特別に何か教わったわけではない。(実務面はほぼ当時のサブから教わっていたはずだ。)ただとてもいいバランスで見守ってくれていたのだと思う。

彼女は仕事に没頭するわけではなく、出身地の故郷と、家庭をこよなく愛していたし、売上高がそこそこの下位店舗だったからこそ、のびのびと仕事ができていた。その在り方が、とても心地よかったのだと今にして思う。もし仕事に過集中するような人間だったら違っていただろう。

 

気付いたら、I店長のような口調で下の子に教えている自分がいる。

I店長は今でも自分の理想の上司です。